それが普通だった

いきなりですが小学生の頃の私はモテました。別段に可愛かったのかというとそうでもない。スポーツが得意だったので男子に混じって野球したりバスケしたりしてはいたから男子とは仲良くはしていたけど、女子っぽさ、今風に言うなら女子力が高かったわけじゃない。

 

それでもクラスの3分の1の男子から告白されたり何なりしていたから何かしら魅力があったんだろう。けど、その魅力がいったいなんなのかを自分では理解していなかったし、中学・高校と進むうち、私のモテ度は富士急ハイランドの富士山の如く急降下。自分でも分からないけど大したことない魅力だったたんだろう。

 

と言ってもそんなのはよくある話。年齢を重ねて特に多感な思春期ともなれば去年まであんなに仲良かった友だちとも全く話さないなんてこともあるように、新しい出会いもたくさんあって、社会もどんどん広がり価値感も多様化する。

 

小学生の時のようにクラスメイト数十人と家族だけとしかほぼ関わらない狭い世界での関わりの中で、モテたといってもそれは薄っぺらいもの。

 

そんなのはわかってます。

 

先日、小学生の同窓会のようなものがありました。だいたい15人程度集まって、みんなで飲んで歌って楽しい時間だった。

 

私にとって小学生時代の仲間はとても居心地がいい気がする。それはやっぱりその「モテた時の自分」に戻れる気がするから。そんなの幻想なんだけど、でも背伸びしなくても頑張らなくても小学生時代の仲間は私に居場所を、しかも特等席を与えてくれるのを感じる。

 

一方で男子の中で1番モテた、おー君もここではやっぱり輪の中心にいる。女子陣たちは今でも彼と話すときとても楽しそう、実際に彼は周囲を温かく明るくする力が昔からあったと思う。私とは違いおそらくずっとモテて生きてきたのかな。そういう人はなぜ自分がモテるかも分かってるんだろう。

 

おー君は小学生の頃、私を好きだと言ってくれていた。他の誰よりも強くその私への想いを秘めてくれているように感じた。

 

クラスイチのモテ男のおー君が私を好きだと言ってくれている。でも私は当時、おー君ではなくてヨシユキが好きだった。そのヨシユキも私を好きだと言ってくれた。

 

おー君もヨシユキも、みんなが私のことがすき。それが普通。

 

小学生のときだってきっと良いことばかりではなかったと思うけど、たまにあの時の自分に戻ってみたいと思う。

 

また人生をあの頃からやり直すとしたら、私はどんな人生を歩むんだろう。